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東儀兼彦先生のご紹介

昭和12年10月22日東京生まれ 秦河勝(ハタノ カワカツ)を祖とする旧雅楽天王寺方楽家の東儀家52代目に生まれ、1950年宮内庁楽部楽生、1959年楽師を拝命。重要無形文化財 雅楽 保持者(総合指定)祖父 東儀俊義、父 東儀兼泰。多忠麿、芝 祐靖等と共に東京楽所を立ち上げ国内外の多岐にわたる演奏活動、雅楽CDの篳篥主管をつとめる。散吟打毬楽(声明三十二相と合う)や「團乱施(トラデン)「河南浦(カナンフ)の復曲や雅楽打物譜、箏琵琶譜、歌譜の監修を行い首席楽長を経て退官。瑞宝双光章に叙せられる。2008年3月25日逝去。
【篳篥唱歌全三巻】【篳篥唱歌 高麗楽】
篳篥唱歌全三巻はSold out 近日再販予定 しばらくお待ちください。



篳篥唱歌CDは3枚組で、雅楽六調子の主要曲篳篥唱歌が3枚に収録されています。
篳篥唱歌 高麗楽CDは2枚組で、高麗の主要曲篳篥唱歌が収録されています。
【篳篥唱歌CD発売の経緯】
これ等の唱歌は本来門外不出で、弟子のみが聴かせて頂く事が許されておりました。
昭和60年代になり雅楽が世に広まった事はありがたい事ではありましたが、特に地方に於いて きちんとした教えを受けていない人が自己流の唱歌を子供達に教えている現実を知り、ある日私(稲葉明徳)は「先生の唱歌を世に出させて下さい」とお願いしました。先生は少し考えて「私のお稽古を受ける為に新幹線に乗って遠くから通って来る弟子達がいる。その弟子の事を思うと私には(申し訳なくて)出来ない」と断られました。その後も何度も何度もお願いしましたが、何度も断られました。10年程の歳月が経ち漸くご承諾頂く事が叶い、皆様に聞いて頂く事が出来る様になりました。
【篳篥蘆舌製作DVD】

篳篥の蘆舌(ロゼツ)製作法は千年以上の歳月、口伝で守り受け継がれてきました。この度天王寺方東儀家に伝わる蘆舌製作方法を特別に収録させて頂きました。東儀兼彦家と別家の伝承には多少の違いがあります。蘆舌製作を学ぶ上では何が正しいかではなく、それぞれの家の長い伝承をお楽しみ下さい。また蘆舌製作にはとても奥深い技やコツが必要です。きちんとした筋の先生に習われる事を強くお勧め致します。
多忠麿先生のご紹介

昭和8年12月5日鎌倉に生まれる。古事記の纂者 太 安万侶を中興の祖とし、自然麿を楽祖とする旧雅楽京都方四家の一つ、多家に生まれ、昭和21年宮内庁楽部楽生、同27年楽師拝命。重要無形文化財 雅楽 保持者(総合指定)祖父 多忠龍、父 忠紀。楽師としての公務の中から雅楽の発展を目指し東京楽所を立ち上げ国内外の多岐にわたる演奏活動、ならびに雅楽CD、映像等の監督をつとめる。宮内庁所蔵の装束や楽器を網羅した「雅楽のデザイン」を出版。雅楽界への多大な貢献により、平成2年第46回日本芸術委員賞を受賞、平成3年日本芸術院会員任命。同5年宮内庁楽部楽長拝命。東邦音楽大学客員教授。平成6年(1994)12月19日逝去。正五位、勲三等瑞宝章に叙せられる。
【東京楽所とは】
東京楽所(ガクソ)は、昭和53年(1978)に、宮内庁式部職楽部の楽師の多忠麿、東儀兼彦、芝祐靖と国立劇場演出室長の木戸敏郎氏等が発起人となり、有職故実としての雅楽だけでなく、芸術音楽としての雅楽演奏を追求し創設された。宮内庁楽部を母体としつつ、民間の優秀な奏者も加わる日本を代表する大規模な雅楽団体で、古典雅楽はもとより、現代音楽や異文化との交流や雅楽教室に積極的に取り組んだ国内最高峰の雅楽団体である。有楽町駅程近くの銀座 外堀通りとみゆき通りの交差点付近のビルの7階が事務所、8階が雅楽堂(客席50席程 大太鼓 大鉦鼓有)、9階はレコーディングスタジオとなっていた。
【鳳笙唱歌全三巻】
鳳笙唱歌全三巻はSold out 今春再販予定 しばらくお待ちください。


鳳笙唱歌CDは4枚組で雅楽六調子の主要曲鳳笙唱歌が3枚に収録されており、4枚目はボーナストラックとして、多忠麿先生のプライベートのお稽古が収録されております。名人のお稽古の様子を笙奏者のみならず全ての雅楽関係者にお聞き頂きたいと思い入れさせて頂きました。
【鳳笙唱歌全三巻発売の経緯】

若き日に多忠麿、芝 祐靖、東儀兼彦先生方は「それぞれの家に伝わる唱歌を教え合い共に学ぼう」と、各人テープレコーダーに唱歌を録音し交換。他管の唱歌も学び合奏の稽古を重ねる中で切磋琢磨、昭和の雅楽は全盛期へと突入して行くのであります。その30歳代の先生方の唱歌がこれ等のCDに収録されております。その後 芝 祐靖先生は龍笛唱歌を新たに録音され販売されました。そんな中1994年12月 多忠麿先生逝去。2000年東儀兼彦先生の唱歌CDが発売される事となりましたが、その折に兼彦先生より「麿さん(多忠麿)の唱歌CDも出すように」とご命を頂き、私は 多宏子奥様よりご承諾を頂き、忠麿先生の鳳笙唱歌CDを編集しました。しかし言うに言われぬ様々な事情により数年間発売する事を躊躇しておりました。そんな最中 2008年体調を崩し入院中の兼彦先生より「麿さんのCDはどうなってるのか」とお尋ねがあり、私はこれを「兼彦先生のご遺言」と悟り、心の中の迷いを捨て、後日まだ手付かずだったCD表紙のデザインのご相談に伺うと、嬉しそうにニコニコと様々な案をレポート用紙に書いて下さいました。(写真)ご安心頂いたのでしょうか、その夜先生は静かに天へと旅立たれて逝かれました。この様にして昭和の雅楽黄金時代を築きあげた偉大な先生方の唱歌はギリギリのタイミングの中で世に出せる事となったのです。